20代の時に、田中一光デザイン室に採用になったことがあります。
2001年の年末にデザインの現場を見ていたら、デザイン倶楽部という個人事務所がデザイナーを募集をしていたので応募したところ、面接するよと連絡がありました。
これはチャンスと、12月26日(ちょっとうる覚え)に、そそくさと面接に行くと、デザイン倶楽部主催の木下勝弘さんから「きみ田中一光ってしってる?」と聞かれ、中学校の教科書に載っていたので知ってますと答えると、「じゃ、今からもうひとつ面接受けてもらえる?」と言われ、青山の田中一光デザイン室の地図を渡されました。何が起こっているのかよく把握できないまま面接に出向くと、デザイン室の1階でスタッフの方たちから面接を受けました。
年が明けて2002年1月9日の午後にスタッフの方から電話をいただき「採用することに決まりました。詳細はまた後日連絡しますね」と言われました。正直、田中一光デザイン室の中を見れただけでトクしちゃったと思っていたので、だいぶ喜びました。
しかし、翌10日の地元紙夕刊を読んでいると、田中一光氏の訃報が載っていて驚きました。
その後、デザイン倶楽部の木下さんから連絡を受け、デザイン倶楽部で働くこととなりましたが、半年ほど、たまに木下さんに連れられて田中一光デザイン室に出向き、残された仕事の手伝いをしました。
後で知ったのですが、木下さんは元ボスである田中一光氏から、木下さんの長年のスタッフだったKさんをもらえないかな、と相談を受けて困っていたそうです。そこにぼくがひょっこり面接に来たので、チャンスとばかりに替え玉として面接に行かせた。とそんな顛末でした。
デザイン倶楽部で先輩だったKさんは、今はCIを主に専門として、PAOSなどと一緒にデザインの仕事をされています。

July 31, 2010